高級なお菓子には、ときどき困るものがある。
箱を開けた瞬間、
🦚「さあ、私の高級さにひれ伏しなさい」✨
という圧がある。
こちらは紅茶を飲みたいだけなのに、
なぜか面接を受けている気持ちになる。🙄☕️
その点、とらやの最中は穏やかだ。🐅
小さい。
丸い。
クリームも飛び出していない。
映えるために金粉を背負ったりもしない。🦚✨
ただ、
皮と餡。
以上。
潔すぎる。
たぶん
ウィトゲンシュタインが和菓子屋をやったら、
メニューはこうなる。
「最中。」🫳🌼🙄
説明終了。
けれど、
この「余計なものがない」というのが、
とらやをすすめたい理由なのだと思う。🐅
最中の皮を噛む。
ぱりっ。
そのあとから、
餡がやってくる。
豆を煮て、
砂糖を加えて、
長い年月、人間が大切にしてきた味。🫘🥢
ものすごい発明ではない。
宇宙にも行かない。🚀
AIも入っていない。🤖
Bluetoothにも接続できない。📶
それでも人は、
「あ、美味しい」🤭🌼
と言う。
私はこういうものを信用している。
何百年たっても、
人間が美味しいと思うもの。
流行を追いかけなくても残るもの。
とらやの最中を誰かにすすめるというのは、
単に「高級だから」ではない。
小さなひとつの中に、日本人が長い時間をかけて残してきた美意識が入っているから。🫘🥢
余計なものを足さないこと。
素材をちゃんと味わうこと。
小さくても満足できること。
そして何より、
誰かと半分こしたくなること。🌱🫶🏻🌱
幸福というものは、
案外こういう形をしているのかもしれない。🍀
大きなケーキではなく、
掌に収まる最中ひとつ。
「これ、美味しいよ」🫳🌼
そう言って差し出す。
すると、
昨日まで別々の人生を歩いていた2人が、
ほんの数分だけ同じ味を知る。
食べ物をすすめるって、
考えてみれば不思議だ。
私はこれを美味しいと思いました。🫘🥢
あなたにも、この幸福が起きますように。
そう願っている。
それはもう、
小さな祈りではないか。
だから私は、とらやの最中をすすめたい。
豪華だからではない。
有名だからでもない。
ちゃんと作られた小さなものには、人をそっと幸福にする力があると教えてくれるから。🐅💖
そして最大の問題はひとつ。
🌼🙄「ひとつだけ食べよう」🙄🌼
という決意が、
最中の皮より薄いことである。
人類はまだ、
ここを克服できていない。🫄🏻💧
🌹
最中ひとつ
半分あげると
言ったのに
#明日出勤です #本日出勤です #雑記 #私の好きな●● #お礼日記






























































































































































































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