ひとりになると、
誰かに合わせるために使っていた耳が、
ようやく自分の心の音を聞きはじめる。
「あれ、本当は嫌だったな」
「あの人には無理して笑ってたな」
「これは好きだったんだな」
人間というものは不思議で、
静かな部屋にひとり置かれると、
急に人生の反省会を始める。
しかも司会も私。
議長も私。
被告人も私。
だいたい裁判は深夜に開かれる。
そして午前2時頃、
「なんであんなこと言ったんだろう」
という20年前の案件まで再審される。
脳よ。
そこはもう時効でお願いします。
けれど孤独には、
案外ちゃんとした仕事もある。
人の声でいっぱいだった頭の中に
小さな空きスペースをつくってくれる。
そのスペースで人は考える。
何を持つか。
何を捨てるか。
誰といるか。
どんなふうに働くか。
そして、
どんな人生なら自分はちゃんと呼吸できるのか。
ウィトゲンシュタインは、
言葉の限界について考え続けた。
ディキンソンは、
広い世界へ出なくても、
小さな部屋から宇宙ほど大きな詩を書いた。
フランシス・ジャムの祈りには、
立派になろうと肩を張るより、
小さな命や暮らしを愛するような
素朴なやさしさがある。
だから私は思う。
孤独とは、
世界から追い出されることではなく、
時には、
世界との付き合い方を
自分でもう一度決め直す時間なのだと。
ただし、
孤独は薬にもなるけれど、
量を間違えると毒にもなる。
「ひとりでいたい」と
「ひとりにされている」は、
似ているようでずいぶん違う。
人には静けさも必要だけれど、
誰かと笑うことも必要だ。
だから賢明な孤独とは、
永遠に扉を閉じることではないのだと思う。
ひとりで考えて、
少し賢くなって、
それからまた扉を開ける。
「ねえ、こんなこと考えたんだけど」
そう言える誰かがいる人生は、
たぶん、とても豊かだ。
私は山でも続けられる働き方を知りたい。
都会の大きな音から少し離れても、
知恵や経験や仕事が、
人から人へ渡っていく方法を知りたい。
だから、
同じようなことを考えてきた人がいたら、
いつか話を聞かせてほしい。
成功談だけでなくていい。
山で仕事をしてみたら
Wi-Fiより先に鹿と接続したとか、
静かな暮らしを求めたのに
カエルの合唱団が24時間営業だったとか、
そんな失敗談も大歓迎です。
人間は、
誰かの完成された答えより、
誰かが転んだ場所から
ずっと多くを学ぶことがあるから。
孤独は時に、人を賢明にする。
でも最後にはやっぱり、
賢くなった者どうしで
紅茶でも飲めたらいい。
そのくらいが、
人間にはちょうどいい気がしています。
🌹
ひとり山
悟りを開き
Wi-Fi閉じ
#明日出勤です #本日出勤です #雑記 #私の好きな●●





































































































































































































17:00~翌2:00

















