美しい日本語は、必ずしも難しい日本語ではない。
朝の光を見て、
「暁光が静謐なる室内へ差し込んだ」
と書くこともできる。
けれど私は、
「朝が、そっと部屋へ入ってきた」
と書くほうが好きだ。
そのほうが朝も、
靴を脱いで入ってきてくれそうだから。
難しい言葉は、立派な革靴に似ている。
履けば少し賢そうに見えるけれど、
長く歩くと足が痛い。
一方で、
「ありがとう」
「無理しないで」
「おかえり」
という言葉は、古い草履のようだ。
飾りはない。
けれど、疲れた人の足を知っている。
言葉は、
知識を見せるためだけにあるのではない。
誰かの心まで、
迷わずたどり着くためにある。
そして、
ときには何も言わず、
隣に座ることも日本語なのだと思う。
私はこれから、
山でも続けられる働き方を学びたい。
難しいことを、やさしく話せる人。
暮らしの知恵を、惜しまず分けてくれる人。
言葉で誰かを負かすのではなく、
言葉で誰かを休ませられる人。
そんな人に会いたい。
私もいつか、
読む人の肩から荷物をひとつ下ろせる文章を書きたい。
まあ、まずは自分の文章から、
余計な漢字を下ろさなくてはいけない。
文章まで着ぶくれしていたら、
山を登れませんから。
美しい言葉とは、きっと、
心が裸足のまま歩いていける言葉なのだ。
🌹
美文書き
辞書で迷子に
日が暮れる
#明日出勤です #本日出勤です #雑記 #私の好きな●● #お礼日記




































































































































































































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