人生の最期。
もう立ち上がる必要もなくなって、
誰かに認めてもらう必要もなくなって、
私は温かい布団の中で、こう言いたい。
「親の愛がなくても、
私は最高に幸せだったよ」
そして、そのあとに、
「だからもう、
あなたたちのことなんて、どうでもいい」
と笑いたい。
怒りながらではない。
泣きながらでもない。
本当に、どうでもよくなっていたい。
それが、私の人生の勝利だと思っている。
子どもの頃にもらえなかったものは、
大人になってからも、
ときどき胸の奥で疼く。
「どうして愛してくれなかったの」
そんな問いは、
何年経っても答えが返ってこないことがある。
けれど、
ある日ふと思った。
答えのない扉を、
一生ノックし続けなくてもいいんじゃないか。
コンコン。
「愛をください」
……留守。
コンコン。
「せめて理由だけでも」
……やっぱり留守。
ここまで来ると、
宅配便でも不在票を置いて帰る。
私も、そろそろ帰っていい。
私には、
これから見なければならない景色がある。
おいしいものを食べて、
好きな人とくだらないことで笑って、
きれいな花を見て、
今日はよく眠れたとか、
この紅茶おいしいとか、
そんな小さな幸せを、
ひとつずつ拾っていく。
幸福というものは、
大きな拍手をしながら
やって来ないのかもしれない。
朝の光とか。
温かいご飯とか。
「おかえり」と言ってくれる声とか。
自分で自分に買った、小さな花束とか。
そんなものの中に、
こっそり隠れている。
私はもう、
「愛されなかった子ども」だけではない。
今日の夕飯を決められる大人で、
好きな本を選べる大人で、
嫌な場所から離れることもできる大人で、
誰かを大切にすることもできる大人になった。
何より、
これからの自分を
幸せにしてやれる人になった。
過去は変えられない。
けれど不思議なことに、
過去が人生全体に占める割合は、
生きれば生きるほど小さくできる。
悲しかった10年のあとに、
幸せな20年を置くことだってできる。
苦しかった20年のあとに、
穏やかな30年を置くことだってできる。
人生は、
最初の章だけで
本の結末を決めなくていい。
私はまだ続きを書いている。
だから神様。
もし本当に、
どこかで見ているのなら。
私に大金持ちの人生をください、
なんて贅沢は言いません。
大切な人と笑える日をください。
よく眠れる夜をください。
好きな仕事を、
無理のない形で続けられる知恵をください。
誰かと比べなくても、
「今日もなかなか悪くなかったな」
と思える夕暮れをください。
そして最後の日には、
誰かを恨むことさえ
面倒くさくなるほど、
私を幸せにしてください。
私は人生の最期、
親の顔ではなく、
愛した人たちの顔を思い出したい。
「あの人に会えてよかった」
「あの日のご飯、おいしかった」
「あのくだらない冗談、まだ覚えてる」
「ああ、生きていてよかった」
そう言いたい。
そのとき、
ようやくわかるのだと思う。
親に愛されなかったことが
私の人生の最大の出来事だったのではない。
そのあと私が、
誰を愛したか。
何を守ったか。
どんな景色を見たか。
何度笑ったか。
それこそが、
私の人生だったのだと。
だから私は生きる。
見返すためだけではない。
いつの日か、
見返す必要すらなくなるほど
幸せになるために。
そして人生の最期に、
少し笑って、
こう言う。
「親の愛がなくても、
私は最高に幸せだった」
「だからもう、本当にどうでもいいや」
そう言えたなら、
きっと私は、
誰にも奪えない心の芯を、
ちゃんと自分の手に取り戻せたのだと思う。
💖🌹
親のこと
忘れて気づく
プリンうま
#お礼日記 #雑記






























































































































































































11:00~19:00


















