歳を重ねると、
昔ほど人目が気にならなくなる。
若いころは、
髪が少し乱れただけで世界の終わりだった。
服が似合っているか。
変な歩き方をしていないか。
今の発言、変じゃなかったか。
家に帰ってから、
「あのときの私、変じゃなかったかな」
と、ひとり反省会まで開催していた。
しかも出席者は私1人。
議長も私。
被告も私。
判決はだいたい、
「考えすぎ。」
である。
ところが歳を重ねると、
人間は少しずつ強くなる。
いや。
正確には、
面倒くさくなる。
スーパーへ行くくらいなら、
多少髪が跳ねていてもいい。
近所なら、
まあこれでいい。
誰かに変だと思われても、
「そうですか」
で終了。
昔の私は、
人の視線という小さな牢屋の中で、
ずいぶん一生懸命、
美しく座っていたのだと思う。
でも最近は、
牢屋の鍵が開いていることに気づいてしまった。
🙄誰もそれほど私を見ていない。
そして、
見ていたとしても、
その人も夕飯の献立くらいは考えている。
これは少し寂しくて、
ものすごく自由だ。
人間は若いころ、
「みんなが私を見ている」
と思い、
歳を重ねると、
「誰もそんなに見ていない」
と知る。
そしてさらに歳を重ねると、
「見てても別にいいや」
になる。
ここまで来ると強い。
現代社会が生み出した、
羞恥心の皮を1枚ずつ脱ぎ捨てた怪物。
その名は、
ゆずき。
昔なら恥ずかしくてできなかったことも、
今なら平然とできる。
ちょっと変な服も着られる。
ひとりでも歩ける。
失敗しても笑える。
嫌われる可能性があっても、
自分の好きなものを好きと言える。
だから、
人目が気にならなくなるのは、
悲しい老化だけではないのかもしれない。
人生から少しずつ、
「他人の許可」
が必要なくなっていくことなのだ。
若さとは、
可能性の多さかもしれない。
けれど歳を重ねることには、
別の贈り物がある。
どうでもいいものを、
どうでもいいと分かること。
守るべきものだけを、
大切にできること。
私は今日も、
少しずつ怪物になってゆく。
髪が跳ねている。
まあいい。
誰かが見ている。
まあいい。
人生は短い。
紅茶は冷める。
だったら、
自分の人生くらい、
自分の好きな格好で歩こう。
悲しいね。
でも、
ちょっと嬉しいね。
たぶん自由とは、
とても美しい顔をしたものではなく、
「もう、まあいいか」
と言いながらやって来るものなのだ。
🌹
人目より
寝ぐせ気になる
まだ若い
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