今週は本日土曜日だけ出勤します♡
お休み明けで疲れてる方も、ちょっと甘やかされたい方も…
ゆっくり癒されに来てね。
土曜日、ふたりだけの時間にできたら
嬉しいな🥰
14時30分以降空き枠あります!
お誘い、お待ちしてます♡
#本日出勤です #ロングヘアー

「錦糸町人妻セレブリティ」は、気品漂う若妻やお姉さま方の普段見せない淫らな欲望と姿をあなたの前だけに・・・ 大人の女性との魅力的で濃厚な時の流れをお楽しみいただけます。
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女性の写メ日記
08/22 09:09
08/22 09:01

08/22 08:13
今日もお休みしてます🥺
せっかくのお休みだからいっぱい寝ようと思ってたのに、普通に目覚めちゃいました💦💦
今日は特に予定もないから、ゆっくりしようかな〜って思ってます😳
お家でゴロゴロしてるのが一番幸せかも。笑
出勤じゃないとちょっと寂しい気もするけど、
また出勤したとき会いに来てくれたら嬉しい🥹💕
今日はのんびり過ごします♡
みんなも良い一日になりますように☺️
08/22 07:34




08/22 07:01
ごはん粒をひとつ残しただけで、
どこかから祖母の声が飛んできそうな国に生まれた。
🌾お米には神様がいる。
🧑🌾野菜を作った人がいる。
🎣魚を獲った人がいる。
だから、食べ物を粗末にしない。
それは、とても美しい教えだと思う。
けれど最近、
「もったいない」について、
もう少し考えるようになった。
世界には、食べ物がたくさんある。
スーパーには棚いっぱいの商品が並び、
閉店時間になれば、
まだ食べられるものまで行き場をなくす。🍱
その一方で、
今日、
食べたいのに食べられない人がいる。👤🌀
同じ地球の、
同じ今日なのに。
なんだか、おかしい。
食べ物がないのではなく、
ある場所には余るほどあって、
必要な場所まで届いていないこともある。📦
だったら、
余っているところから、
足りないところへ運べばいい。
言葉にすると、
小学生でも思いつきそうなくらい単純だ。
ところが大人の世界では、
そこに値段があり、
距離があり、
法律があり、
保存期限があり、
物流があり、
商売があり、
そして、ときどき
人間の都合という巨大な冷蔵庫がある。🧊
ずいぶん複雑になってしまった。
だからこそ、
私は一つだけ混同したくないことがある。
食べ物を大切にすることと、
自分の身体をゴミ箱にすることは、
同じではない。
「残したらもったいないから」👤💧
そう言って、
もうお腹いっぱいなのに食べる。🥢
必要ではないものまで買う。🛍️
傷みそうなものを、
罪悪感だけで口へ運ぶ。
それは本当に、
食べ物を大切にしていることになるのだろうか。
私は違うと思う。
必要以上に食べれば、
身体は苦しくなる。👤🌀
食べるということは、
罰ではない。
生きるためのものだ。
だから私は、
必要なぶんをいただいて、
余らせないよう工夫して、
分けられるものは分けて、
届けられるものは届けたい。📦
それでも、
どうしても必要なくなったものは、
「ごめんなさい」
「ありがとう」
そう言って、
自分の責任で手放すことも、
大切なのだと思う。🙏
捨てることを正当化したいのではない。
むしろ逆だ。
捨てなければならなくなる前に、
私たちはもっと賢くなれる。
少なく買うこともできる。
誰かに分けることもできる。
店から地域へ、
地域から必要な人へ、
食べ物が流れていく仕組みを作ることもできる。
🫳📰💖
そして最後の最後に残ったものまで、
人間が無理をして胃袋へ押し込む必要はない。
「世界には食べられない人がいるんだから食べなさい」
子どものころ、
そんな言葉を聞いたことがある。
でも本当にその人たちを思うなら、
私がお腹を壊すまで食べるより、
その人のところへ
一皿のごはんが届く社会をつくるほうがいい。
たぶん、
それが「もったいない」の次の時代なのだ。
食べ物を捨てない世界。
そして同時に、
人間の身体も、
心も、
捨て場所にしない世界。
誰かが満腹になることと、
誰かが空腹でなくなることは、
本当は敵同士ではない。🤝
食べられる人が我慢して苦しくなることを、
食べられない人は望んでいないと思う。
きっと願っているのは、
こちらの皿を無理に空にすることではなく、
自分の皿にも、
温かいものが少し載ることだ。
日本でも。
遠い国でも。
お腹が空けば悲しいし、
温かいごはんを誰かと食べれば少し安心する。
そこには国境なんてない。
「あなたも食べられるといいね」
そして、
「私も身体を大切にするね」
その二つは、
同時に言っていい。
私は、
そういう優しさが好きだ。
誰かの空腹を忘れないこと。
自分の身体も粗末にしないこと。
余っているものを、
足りない場所へ届けようとすること。
それでも残ったものには、
感謝して責任を持つこと。
世界を救うなんて言うと大げさだけれど、
たぶん世界というものは、
誰かが差し出した
小さなおにぎり一個くらいの大きさから、
少しずつ変わる。
🫴🍙💖
今日もどこかで、
「いただきます」🥢
と言える人が、
一人でも増えますように。
そしていつか、
「お腹すいた」👤
という子どもの声に、
国も、
お金も、
生まれた場所も関係なく、
当たり前のように、
「はい、どうぞ」🫳🍙💖
と言える世界になりますように。
それこそが、
食べ物にも、
命にも、
いちばん失礼のない
「もったいない精神」なのだと思う。🇯🇵
🌹
満腹で
世界を憂い
飯三杯
……まず私から、適量を覚えます。😂🙄🍚
08/22 05:01
夏といえば浴衣👘💕
浴衣姿って、露出が多いわけではないのに、なんだか色っぽく感じませんか?
むしろ普段のお洋服より隠れているのにエロスを感じる。
なんでなんだろう?と思って考えてみました♡
まず浴衣って、首元から足元までほとんど隠れています。
でも、うなじ、首筋、手首、足首などがほんの少しだけ見える。
全部見えているより、少しだけ見えているほうが、その先を想像してしまう。
ストッキングのエロスにも少し似ていますね🥰
そして浴衣ならではなのが、あの襟元。
きちんと着ているのに、動いた瞬間に首筋がちらっと見えたりする。
この「ちらっと」が大事なのかもしれません。笑
さらに帯によってウエストが強調されるので、身体のラインを直接見せていないのに、なんとなく女性らしいシルエットを感じます。
そして私は、浴衣の所作にもエロスがあると思います。
いつもより少し歩幅が小さくなったり、裾を気にしたり。
髪をアップにすれば、普段は髪で隠れているうなじまで見える。
肌を見せることだけがエロスじゃないんですね♡
「隠れているから想像する」
「いつもと違う姿だからドキッとする」
「ほんの少し見えるから、そこに目がいく」
浴衣には、そんな想像させるエロスが詰まっている気がします🥰
露出していないのに色っぽい。
むしろ、
隠しているからこそエロい♡
日本の夏のエロスって、なんだか奥ゆかしくて素敵ですね👘💕
08/22 04:01
例えば、こんな一日。
☺️「まあまあ、食べたんだからいいじゃないですか」
……いやAmazonさん。
そういう問題ではない。
今日は、初めて好きな人のキッチンに立って、
その人のために料理を作った日だった。
時間がなくて、
盛りつけは少々豪快。
豚肩ロースも卵も、
🥩「今日は繊細さより腹を満たそうぜ」🥚
という顔をしていた。
それでも私は、けっこう嬉しかった。
誰かの台所に立つというのは、
ただ料理をすることではないのかもしれない。
冷蔵庫を開けて、
フライパンを借りて、
お皿を探して、
その人の暮らしの中へ、
ほんの少し自分の居場所を作ることだ。🥢
だから、後になって思い出すのは、
高級レストランの日よりも、
案外こういう何でもない日なのだと思う。
卵が少し崩れていたこと。🍳
急いで盛った肉。😂
そして料理人様の、
記念すべき第一声。
🧑🍳「食べれますね」
🙄…………。
食べ れ ま す ね。
料理レビューとしては、
非常に守備力が高い。
褒めてもいない。
けなしてもいない。
訴訟にもならない。
星をつけるなら、
★★★☆☆
『食べれますね。ありがとうございます』
である。
しかも最後の「ありがとうございます」だけ、
妙に丁寧なイケボなので腹が立つ。
こちらは、
「美味しい」の四文字を待っているのに、
声だけで
「まあ許すか」🥢
まで持っていかれる。
ずるい。
人はきっと、
完璧だった日ばかりを愛するのではない。
ちょっと失敗して、
ちょっと腹が立って、
それでも同じ食卓に座った日を、
あとから宝物と呼ぶのだと思う。👥
だから本日の敗北は、
わりと幸福な敗北である。🥢😋
でも覚えておいてください、料理人様。
これは第一戦です。
次は絶対、
🧑🍳「美味しい」
と言わせます。
Amazonさん、
次回も証人よろしく。😘😂
こんな恋がしたい。
🌹
初料理
「食べれますね」で
火がついた
08/22 00:22
08/22 00:18
ひとりになると、
誰かに合わせるために使っていた耳が、
ようやく自分の心の音を聞きはじめる。
「あれ、本当は嫌だったな」
「あの人には無理して笑ってたな」
「これは好きだったんだな」
人間というものは不思議で、
静かな部屋にひとり置かれると、
急に人生の反省会を始める。
しかも司会も私。
議長も私。
被告人も私。
だいたい裁判は深夜に開かれる。
そして午前2時頃、
「なんであんなこと言ったんだろう」
という20年前の案件まで再審される。
脳よ。
そこはもう時効でお願いします。
けれど孤独には、
案外ちゃんとした仕事もある。
人の声でいっぱいだった頭の中に
小さな空きスペースをつくってくれる。
そのスペースで人は考える。
何を持つか。
何を捨てるか。
誰といるか。
どんなふうに働くか。
そして、
どんな人生なら自分はちゃんと呼吸できるのか。
ウィトゲンシュタインは、
言葉の限界について考え続けた。
ディキンソンは、
広い世界へ出なくても、
小さな部屋から宇宙ほど大きな詩を書いた。
フランシス・ジャムの祈りには、
立派になろうと肩を張るより、
小さな命や暮らしを愛するような
素朴なやさしさがある。
だから私は思う。
孤独とは、
世界から追い出されることではなく、
時には、
世界との付き合い方を
自分でもう一度決め直す時間なのだと。
ただし、
孤独は薬にもなるけれど、
量を間違えると毒にもなる。
「ひとりでいたい」と
「ひとりにされている」は、
似ているようでずいぶん違う。
人には静けさも必要だけれど、
誰かと笑うことも必要だ。
だから賢明な孤独とは、
永遠に扉を閉じることではないのだと思う。
ひとりで考えて、
少し賢くなって、
それからまた扉を開ける。
「ねえ、こんなこと考えたんだけど」
そう言える誰かがいる人生は、
たぶん、とても豊かだ。
私は山でも続けられる働き方を知りたい。
都会の大きな音から少し離れても、
知恵や経験や仕事が、
人から人へ渡っていく方法を知りたい。
だから、
同じようなことを考えてきた人がいたら、
いつか話を聞かせてほしい。
成功談だけでなくていい。
山で仕事をしてみたら
Wi-Fiより先に鹿と接続したとか、
静かな暮らしを求めたのに
カエルの合唱団が24時間営業だったとか、
そんな失敗談も大歓迎です。
人間は、
誰かの完成された答えより、
誰かが転んだ場所から
ずっと多くを学ぶことがあるから。
孤独は時に、人を賢明にする。
でも最後にはやっぱり、
賢くなった者どうしで
紅茶でも飲めたらいい。
そのくらいが、
人間にはちょうどいい気がしています。
🌹
ひとり山
悟りを開き
Wi-Fi閉じ
08/22 00:15